■ 趣旨 ■
約400年前、初代福井藩主結城秀康公が築かれた福井城は、今も笏谷石の石垣と水を湛えるお堀が残る城址として全国的にも珍しく貴重な史跡とされており、近年、御廊下橋や福の井が復元され、天守台に至る階段も整備しライトアップもされて、県内外から訪れる人も多くなっています。また2018年には、山里口御門の復元、中央公園の整備も完成いたしました。
一方、昭和20年7月の福井空襲や昭和23年6月の福井地震では、多くの人々がお堀に難を逃れようとして亡くなっています。
「福井城址お堀の灯り」は、福井城址のお堀に灯りを浮かべ、築城以来の往時を偲び、空襲や震災などで亡くなった人々を鎮魂する事を主旨に、市民ぐるみで新たな福井のまちづくりを推進するものです。
■ 2024年度開催内容
次世代に語り継ぐ不死鳥の願い ■
2024年度、第15回 「福井城址お堀の灯り」は、
令和6年(2024年)7月20日(土)~27日(土)18:00~24:00まで
山里口御門(御廊下橋)~御本城橋~内堀公園前のお堀の中に
福井空襲と福井震災で亡くなられた方々への『鎮魂の灯り』の 輪灯を浮かべます。
開催期間は、8日間となりますので、お近くにお越しの際は、どうぞ福井城址のお堀の水面に映る美しい「慰霊の輪灯」をご覧ください。
今年は、中央公園にて、未来につながる子どもたちの
『希望の灯り』を7月20日(土)に間開催します!!
■ 順化地区万霊供養塔について ■
「順化地区万霊供養塔」は、昭和42年8月に福井城址内の御本城橋のたもとに、戦災、震災によるお堀の犠牲者供養のために建立されましたが、その後諸事情により足羽山西墓地公園の一隅に移転されました。その後、この供養塔に合祀される範囲を広げて、不慮の交通事故により亡くなられた方、順化地区に有縁の故人の霊をも慰め供養するようになりました。
建立以来、毎年10月には慰霊祭を行ってまいりましたが、参加者の高齢化が進み、西墓地では遠いため、集まるにも難しい状況となりました。地元の多くの方々から「順化地区万霊供養塔」には、戦災、震災時にお堀で亡くなった人々を祀っているので、2015年(平成27年)の戦後70年を機に、ゆかりの場所としてお堀の付近に戻してほしいという要望が出てきました。
そこで、福井市の了承や地区の皆様からのご寄付などのご協力を頂き、平成27年10月、順化小学生徒登校門横の順化緑地内(福井神社所有地)に移設いたしました。今後も多くの地区の方々の参列のもと、盛大な供養が地区行事として継承されていきます。
2016年(平成28年)からの順化地区万霊供養塔 法要は、「福井城址お堀の灯り」開催日の午後に行われる様になりました。
順化地区万霊供養塔 建立除幕式 昭和42年8月27日
順化地区万霊供養塔 (足羽山西墓地への移転当時)
西墓地にあった頃の順化地区万霊供養塔
■ 献灯台について ■
福井城址お堀の灯りでは、御廊下橋の近くに、福井空襲や福井震災などで亡くなられた人々への“祈り”とともに、未来へのメッセージを書いて捧げる“希望の灯り”の 献灯台を設けています。
2020年から今年2023年は、新型コロナ感染拡大防止のため規模を縮小しての開催となりましたので、献灯台は設けておりません。ご了承ください。
福井市は、昭和20年から23年の3年間で、戦災(空襲)、福井地震、水害が重なり、福井の街は壊滅しました。これらの災禍を乗り越え、再び三たび立ち上がった福井市民の努力によって蘇った福井の街は、まさに不死鳥(フェニックス)の姿にも似ていることから、不死鳥が福井市民及び福井市のシンボルになっています。
■福井空襲/昭和20年(1945)7月19日
■福井震災/昭和23年(1948)6月28日
■ 歴史を受け継ぎ、新たな文化を創造する県都 ■
中央公園周辺では、福井城址と中央公園の一体性を高める公園整備が行われました。
石垣の遺構を公園デザインに活かし、歴史が感じられ、緑の多い開放的な公園を整備しました。また、これまで整備してきた天守台跡や御廊下橋,福の井との連続性を活かして、その導線上にある山里口御門も今年2018年に復元、完成いたしました.
資料提供/県都デザイン戦略