福井市史 資料編13 民俗/第五章 経済生活(一)五 採石・製塩
採石工
採石業に従事している人をその身分・職種によって分類すれば次のようになる。 @ マブ持ち 採石坑を所有している人、すなわち石材の採掘権の所有者。明治時代に採掘権に関する訴訟があり、 地上権を有する者は地下権をも持つという主張が勝訴した。それ以来実際の採掘にはかかわっていない地主も 採掘権を有することになった。 A 番頭(ぱんとう) 石切り場の現場での責任者。 B 割り立て(切り込みともいう) 石切り場を造成する人。特技を要するので、7〜8年修業した人がなる。 C 石工(いしく) 石を切り出す人。 D フシギ これには3種類ある。 (ア)地下の石切り場から石材を背負って坑外に運び出す人。太いつえをついてゆっくりアユベ(昇降路)を 登って行く。尺六1本を背負うのが普通である。 (イ)石くずを石炭箱に詰めて坑外まで背負って出る人。女性であることが多い。 (ウ)石切り場にたまった地下水をかい出す人。見習いの下働きがする。 E 荒造り 地上に運び出された石材をチョウノなどで荒削りして角材や板材に加工する人。 F 仕上げ造り前 昔は石大工といった。荒造りされた石材に石ノミなどで彫刻をする人。 これらの採石業従事者のうち、マブ持ちは地元の人であるが、坑内で作業する人は必ずしも地元の人でなく、 他県からの人も少なくなかった。採石工の休日は月2回であった。今は週休である。
採石工の一生
A氏は明治生まれ、尋常小学校卒業とともにフシギとして地下石切り場に入った。石工たちが仕事をしやすいように、コッパ(石くず)を除いて集めたり、たまった地下水をかい出して他の場所に移したり、使い歩きをしたりするのが仕事であった。
地下の石切り場に入るのを穴入りという。午前8時に穴入りをし、上がるのは午後5時である。居残りといって残業をする石工もいる。食事以外には中休みもしなかった。四斗入りの木オケが便器として備えてあった。
朝暗いうちに起きて穴へおり、コッパ集めやかい出しで一日を暮らすのであるから、食べることだけが楽しみであった。弁当は母親が作って持たせてくれた。石工たちの弁当は特別に大きいので、世間では大きい弁当のことを石山弁当と称した。
石山での弁当は、仏前に供える白いごはんといっしょに別なべで炊く。それを大きなワッパにぎっしり詰め、たくわん・梅干し、時には塩マスが入っていた。
山祭りやネンゴ(春と秋、親方の家に呼ばれてごちそうになる)などの山の物日(ものび)のとき、甘いアズキがたっぷり付いている大きなボタモチが出された。だからその日を指折り数えて待っていた。
若い衆になり、石工として石を切り出せるようになって、給料もよくなった。酒も飲めるようになり、色街へもよく通った。しかし石工の仕事は、“それはたいへん”であって、気を緩めることができない毎日であった。それに一日中穴の中にいるので、世間のことにはまったく無関心になってしまい、在所のことさえ何も知らなくなった。
後半生には、仕上げ造り前になって、在所・近郊はもとより他県へもよく仕事に行った。80歳を過ぎて亡くなった。
地下の石切り場に入るのを穴入りという。午前8時に穴入りをし、上がるのは午後5時である。居残りといって残業をする石工もいる。食事以外には中休みもしなかった。四斗入りの木オケが便器として備えてあった。
朝暗いうちに起きて穴へおり、コッパ集めやかい出しで一日を暮らすのであるから、食べることだけが楽しみであった。弁当は母親が作って持たせてくれた。石工たちの弁当は特別に大きいので、世間では大きい弁当のことを石山弁当と称した。
石山での弁当は、仏前に供える白いごはんといっしょに別なべで炊く。それを大きなワッパにぎっしり詰め、たくわん・梅干し、時には塩マスが入っていた。
山祭りやネンゴ(春と秋、親方の家に呼ばれてごちそうになる)などの山の物日(ものび)のとき、甘いアズキがたっぷり付いている大きなボタモチが出された。だからその日を指折り数えて待っていた。
若い衆になり、石工として石を切り出せるようになって、給料もよくなった。酒も飲めるようになり、色街へもよく通った。しかし石工の仕事は、“それはたいへん”であって、気を緩めることができない毎日であった。それに一日中穴の中にいるので、世間のことにはまったく無関心になってしまい、在所のことさえ何も知らなくなった。
後半生には、仕上げ造り前になって、在所・近郊はもとより他県へもよく仕事に行った。80歳を過ぎて亡くなった。
石工の服装
昔の石工の服装は、上半身はサックリを着た上に綿入れの厚いそでなしを着る。下半身は紺もめんの厚手のモモヒキをはき、腰の所に前掛けをしめる。前掛けには荒い刺し子がしてある。
頭は手ぬぐいでねじ鉢巻きをしている。しかし地下では、この手ぬぐいでほおかぶりをする。手にはコテを付け、指の部分の出る手袋をしている。コテには細かい刺し子がある。足にはマウチ(きゃはん)を巻き、わらじをはく。マウチにも細かい刺し子がしてある。
穴入りのときは、右手にツルを持ち、左手にカンテラを下げている。
頭は手ぬぐいでねじ鉢巻きをしている。しかし地下では、この手ぬぐいでほおかぶりをする。手にはコテを付け、指の部分の出る手袋をしている。コテには細かい刺し子がある。足にはマウチ(きゃはん)を巻き、わらじをはく。マウチにも細かい刺し子がしてある。
穴入りのときは、右手にツルを持ち、左手にカンテラを下げている。
採石用具
バール、ハンマー、チェーンブロックなどの洋式の用具および露天掘りに用いるハッパ(発破)用具などは 省略して、昔ながらの用具をあげれば次のとおりである。
@ ツル ツルハシのことである。大中小の3種類がある。大ツルは石を切り出すときに用い、中ツル、コヅルは荒造りの ときに用いる。
A ヤ(矢) 3種類ある。 (ア)ゴンボヤは長さ13センチぐらいで、先が鋭く、形がゴボウのようである。石を切り出すとき、 石の切れ目の所へ打ち込む。 (イ)セリヤは先が平たくなっている。石を起こすとき、または石を割るときに用いる。 (ウ)ワリヤも先が平たくなっているが、セリヤより短い。石垣用のケンチ石を割るときに用いる。 B ゲンノウ 鉄のつちである。ヤの頭をたたいて石の割れ目に打ち込むときに用いる。 C チョウノ 石のつら(面)を平らに整えるのに用いる。3種類ある。 (ア)単にチョウノというものは、先が鋭い刃になっていて、両刃のものと片刃のものがある。 (イ)サシバは、刃がノコギリ刃になっている。サシバチョウノともいう。 (ウ)カギチョウノは石のつらはつりに用いる。袋チョウノともいう。 D 石ノミ
彫刻に用いる。 このほか曲がり尺、三尺さし、フイゴ、砥石(といし)などは周知の通りである。フイゴ場では、下働きの者が 朝早くから炭やコークスで火をおこして待っている。出勤して来た石工たちは、仕事を始める前にツルやチョウノの 焼き入れをする。真っ赤に焼いた刃先をハンマーで打って刃付けをする。ツルは刃先を四角すいに打ち上げる。 照明具としてカンテラ、運搬具として背当てやつえが用いられている。なお用具とはいいにくいが、アユベと称す るものが坑内に作られている。杉丸太2、3本をくくり合わせて、その上を荒縄で巻いたものである。 厚い板に荒縄を巻きつけたものもある。坑内の昇降路として用いられている。
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